人生の選択を迫られる時って、必ずきます。
誰にでも。
そりゃ悩みますよね「この選択で今後の人生が変わる」と思ってたら。
でもその「選択で変わる」よりも、その「選択をした後の頑張りによって変わる」方が よっぽどデカいです。
ホントに。
自分の職歴を振り返ってみる
例えば就職活動って人生の岐路ですよね。
大学生だったわたしは「どんな職種を志望するか」で迷いに迷って、志望先を二転三転してました。
結論はシステムエンジニア。
ただそんな悩み抜いて入った会社も、4年ちょっとで辞めました。
もちろん辞めるのだって人生の岐路、悩みました。
「この選択は正しいんだろうか」って。
そして辞めた後はこう思ってました。
「こんなに悩んで出した結論なんだから正しいに違いない」
選択をした後も
その後も転職などを繰り返し、その度に自分なりに大きな選択をしてきました。
もちろん選択しなかったコトも含めて。
その度に「この選択は正しかったんだろうか」と考えてました。
もっというと「別の選択をしたら、もしかしてもっともっとバラ色の人生だったかもしれないんじゃないか?(だったら悔しい!)」そんなことをウジウジと考えていたんじゃないかと思います。
今ならはっきりとわかります「んなこたぁないよ」とw
逃がした魚は大きいの心理
「もしもう一方を選んでいたなら…」こう考えるもんだから 何も失ってないはずなのになんだか悔しくなってきちゃう。
でも「悔しくなんかない」と思いたいもんだから「悩んで決めたから正しい」なんて自分の選択を正当化しようとしちゃう。
決断のせいにしない
そして「人生最大の選択」なんてよく言いますが、こうも思うんです。
それって本当に「人生最大の選択」か?ってこと。
勝手にその選択で人生決まっちゃうって思い込んでませんか?ってこと。
ホントは「その後どうするか」の方がよっぽど大事なのに、うまくいかなかったときにその選択のせいにしようとしてませんか?ってこと。
選択肢ってただのスタートライン。
だからまだ、始まってもいないんじゃないですか?
それホントにその選択肢しかないの?
自分の話しに戻しちゃうと、就活生ごときがリ◯ナビとにらめっこしてどんなに真剣に悩もうが、たかが知れてたんですよ。
だってサラリーマンなんかやったことないんだもん。
「どっちの会社がいいか?」なんてわかるわけがない。
実際、働いてみなきゃわかんないじゃないですか。
だから「この選択は正しいんだろうか」なんて考えてること自体、そもそも悩み方が間違ってたんですよ。
その業界・会社を知るために体当たりでなんでもしてみりゃよかったんです。
就職以外の選択肢だって思いっきり情報収集すればよかったんです。
悩むのは「よくわからない」から。
そして「どちらも捨てがたい」から。
だったらもう答えは見えてる。
行動を起こすしかないんです。
さぁ、行動しよう
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